Column 233
2023/10/17 18:00
1989年、アメリカ東部バージニア州ノーフォークにあるジョーンズ研究所に体外受精の勉強に行っていた時のことです。当時、トルコから同年代の男性医師がやはり顕微授精の勉強に来ていました。その彼がよく「私たちトルコ人は日本人のことが好きでとても感謝している」と言っていました。
それは、エルトゥールル号遭難事件のことを言っていたのです。エルトゥールル号遭難事件は、1890年(明治23年)9月16日夜半にオスマン帝国(現在のトルコ)の軍艦エルトゥールル号が和歌山県串本町の海岸沿いで遭難し、500名以上の犠牲者を出した事件です1)。
エルトゥールル号は、小松宮親王のイスタンブール訪問への御礼として、オスマン帝国海軍の航海訓練を兼ねて日本へ派遣されました。横浜港に入港した一行は親善訪日使節団として歓迎を受けました。横浜からの帰途、台風による強風にあおられたエルトゥールル号は紀伊大島の岩礁に激突し沈没したのです。
紀伊大島村(現在の串本町)の住民たちは総出で救助と生存者の介抱にあたり、69名が救出されました。大島村長は県を通じて日本政府に通報し、明治天皇は可能な限りの援助を行うように指示されました。その20日後には、大日本帝国海軍の比叡と金剛が生存者を乗せてイスタンブールまで送り届けたのです。
エルトゥールル号の遭難はオスマン帝国内に大きな衝撃を呼びましたが、大島村民による救出活動や日本政府の尽力も大きく報道され、当時のオスマン帝国の人々は遠い異国である日本と日本人に対して好意を抱いたといわれています。また、日露戦争が日本の勝利に終わると、長らくロシア帝国から圧力を受けていたオスマン帝国の人々は東の小国日本の快挙として熱狂しました。
1985年のイラン・イラク戦争では、イランから脱出できない日本人の窮状を日本の大使がトルコの大使に伝えたところ、「救援機を派遣させましょう。トルコ人なら誰もがエルトゥールルの遭難の際に受けた恩義を知っています。恩返しをさせていただきましょう」と、トルコ航空が自国民救援のための旅客機を2機に増やし215名の日本人はトルコ経由で無事に日本へ帰国できたのです。
トルコ航空は日本乗り入れに使用しているエアバスをKUSHIMOTO号と命名しています。
引用
1)https://ja.wikipedia.org/wiki/エルトゥールル号遭難事件
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