Column 276
2024/08/13 18:00
2024年7月に新しく登場した五千円札の顔は、津田塾大学の創始者である津田梅子です。津田梅子は日本人初の女子留学生の一人で、1871年に女子留学生4人と他の官費留学生らとともに岩倉使節団に随行して渡米しました。1872年にサンフランシスコに入港後、大陸横断鉄道の旅を経てワシントンDCに到着しています。
津田梅子は私立女学校であるアーチャー・インスティチュートで、英語、ラテン語、フランス語などの語学や英文学の他、自然科学、心理学や芸術などを学びました。また、ピアノはかなりの腕前に達しました1)。アーチャー・インスティチュートを卒業した津田梅子は1882年に帰国しています。
その後、2度目のアメリカ留学を果たした津田梅子は、女性の高等教育をめざす私塾として女子英学塾、のちの津田塾大学を1900年に創立しました。女子英学塾の創設には、共にアメリカ留学生であった永井繁子(のちの瓜生繁子)や山川捨松(のちの大山捨松)も協力し、捨松のホストシスターだったアリス・ベーコンも、開校式に先駆けて来日して入学試験やクラス分けなどを担当しました2)。
この女子英学塾の創設に協力したのが、新渡戸稲造でした。そうです、以前の五千円札(1984年発行)の顔だった新渡戸稲造です。彼は、第一高等学校校長を辞職後、東京女子大学初代学長の他に、約30年間にわたって津田塾大学の理事を務め、卒業式などで訓示をし、倫理講座を担当しました3)。
新渡戸稲造は1900年に「武士道」を流暢な英文で著し、やがてそれはドイツ語やフランス語など各国語に訳され、ベストセラーとなっています4)。新渡戸稲造は、1920年には国際連盟事務次長に選任され、米国で日本についての講演をした際に聴衆の一人であったメアリーと結婚しています。
新渡戸稲造五千円札の次に2004年に発行された五千円札の顔は樋口一葉です。樋口一葉の下で学んだ女性に安井てつがいましたが、安井は津田梅子の家に寄宿して英語を学び、新渡戸稲造に請われて東京女子大設立に参加し、新渡戸の後を継いで東京女子大2代目学長となりました3)。
新旧五千円札の顔になった人たちには、意外な繋がりがあったのですね。
引用・参考文献
1)https://ja.wikipedia.org/wiki/津田梅子
2)https://www.tsuda.ac.jp/aboutus/history/index.html
3)産経新聞 2024.7.21 5面
4)https://ja.wikipedia.org/wiki/新渡戸稲造
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