Column 254
2024/03/12 18:00
西行法師(1118年~1190年)は、平安時代から鎌倉時代初期にかけて、上皇の身辺を警護する北面の武士でしたが、23歳で出家しました。西行という名は風流な別名である雅号です。生涯を通じて諸国を行脚して、仏道修行と歌作に専心し約2300首もの和歌を残し、藤原俊成と並ぶ平安時代の代表的な歌人の一人です1)。
西行法師の歌風は後世の歌人たちに多大なる影響を与えました。松尾芭蕉もその一人です。また、後鳥羽上皇は「西行はおもしろくて、しかも心もことに深くて、あはれなる有難き出来がたき方も共に相兼ねて見ゆ。生得の歌人と覚ゆ。これによりておぼろげの人のまねびなんどすべき歌にあらず。不可説の上手なり」と絶賛しています1)。
その西行法師が詠んだ代表的な和歌4つを紹介します。
一.願はくは 花の下にて 春死なむ その如月の望月のころ
(願うなら 桜の咲く春 その木の下で死にたいものだ 如月の望月の頃に)
西行はお釈迦様の命日2月15日に桜の木の下で死にたいと謳いました。
二.心なき身にもあはれは知られけり しぎ立つ沢の 秋のゆふぐれ
(あわれなど解すべくもない我が身にも 今はよくわかる 鴨の飛び立つ沢辺の秋の夕暮れ)
新古今和歌集の有名な「三夕の歌」の一つとして知られる西行の代表作です。
三.吉野の山 梢の花を見し日より 心は身にも添わずなりにき
(吉野山の梢の花(桜)を見た日から 私の心はいつも身体から離れているようになってしまった)
西行は桜が好きで、吉野の桜を毎年見に訪れたといいます。
四. 風になびく 富士の煙の空に消えて 行方も知らぬ わが思ひかな
(風になびく富士山の煙が空に消えていくように 行方も知れない我が心であるよ)
この歌からこの頃は富士山が噴煙を上げていたことが分かります。
西行は73歳でその生涯を閉じましたが、陰暦2月16日釈迦涅槃の日に没したとされています。自分の詠んだ歌の通りに入寂したことで、同じく歌人である藤原定家や慈円の感動と共感を呼びました。
日本人の四季に対する細やかな想いや旅の情感は、今も昔も変わらないものですね。900年前の世界にはこれほど繊細な歌人がいたのだと思うのは私だけでしょうか。
引用・参考文献
1)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E8%A1%8C
2)https://tankanokoto.com/2022/02/saigyou7.html#
©️ Nozaki Women's Clinic Allrights Reserved.
Designed by HARUNO design.