Column 223
2023/08/08 18:00
1945年8月9日11時02分、長崎市浦上地区松山町上空500mで炸裂した原子爆弾は、浦上を焼土と化しました。「東洋一の聖堂」と称されたカトリック浦上教会の天主堂は無惨にも破壊され、天主堂内にいた神父と信徒は即死、浦上地区に住んでいた約1万2000人の信徒のうち約8500人が原爆の犠牲になりました1)。
この日は、聖母被昇天の大祝日の準備の告解のために、聖堂(天主堂)には二人の神父と数十人の信者が中にいました1)。警戒警報も空襲警報も鳴らなかったために天主堂内の全員が避難することもなく亡くなりました。B-29爆撃機はエンジンを止めて接近したために人々には不意打ちとなりました2)。
この3日前、8月6日8時15分、広島市に人類史上初の原爆投下が行われました。B-29爆撃機が広島市上空に侵入したために空襲警報が発せられ市民は防空壕に入りましたが、B-29は瀬戸内海へ飛び去り空襲警報が解除され市民が外に出てきたところに舞い戻ってきたB-29が原爆を投下しました2)。
広島でも、長崎でも、一般の市民に対する原爆の影響を調べるために、広島ではウラニウム型原爆を、長崎ではプルトニウム型原爆という二つの異なる種類の原爆が投下されました。また、平地の広島市、山間の長崎市という地形も考慮され、投下後には米国が原爆被害調査委員会(ABCC)を設置して、人体に対する放射線の長期的な影響を長年にわたり調査しました。
浦上天主堂の敷地内を流れる小川の土手に、重さ30トンもある天主堂の鐘楼の一つが原爆によって35mも吹き飛ばされ、半分埋れたような姿で横たわっています。現在、それは原爆の凄まじい威力を物語る貴重な資料として、現地保存されています。
私が小学生の頃、1960年から1964年ごろだったと思います。浦上天主堂は現在のように修復されていなくて、教会の裏手にまわると天使像の首やガレキがたくさん転がっていました。原爆の爪痕が日常的に周囲に散らばっていたのです。あれから、わずか78年しか経っていません。
引用
1)http://www1.odn.ne.jp/uracathe/genbaku.htm
2)http://ritsumeikeizai.koj.jp/koj_pdfs/59625.pd
©️ Nozaki Women's Clinic Allrights Reserved.
Designed by HARUNO design.