Column 299
2025/01/21 18:00
小説家・浅田次郎氏の作品が好きでよく読みます。年齢が近いこともあり(氏は私より2歳上です)、感覚的にストレスなく情景が浮かぶことが多いように感じます。
その浅田次郎氏から、私の還暦の祝いに揮毫をいただいたことがあり、私の部屋にはその揮毫「薫風」の書が掛かっています。
氏の作品「母の待つ里」は以前読んだことがありましたが、先日NHKドラマ「母の待つ里」を視聴して、また読み返してみました。内容はネタバレになるのでここでは書きませんが、とても近未来的な内容だったのでまだ読んでいない方には一読をお勧めします。
「母の待つ里」は、やはり懐かしい日本の原風景でなくてはいけませんね。都会のマンションで育った現代の子ども達が大人になって懐かしく想う里とは、どんなものでしょう?タワマンが林立する街だったり、近くにコンビニがいくつもあったり、郊外にショッピングモールがあったり…日本の原風景とは言いづらいものばかりですね。
そこで、日本人が懐かしく想う「母の待つ里」はどのようなものなのか。多くの人からイメージを得て、AIが再現したとしたらどんな情景になるでしょうか。AIによるバーチャルな「母の待つ里」です。東北の人と九州の人とでは「母の待つ里」のイメージは全く違うかもしれません。
このイメージは外国でも同じような結果になるのかも知れません。アメリカでの「母の待つ里」は、ニューヨークのマンハッタンではなく、ケンタッキーの郊外にあるバックヤード付きの平屋で暖炉からの煙が夕空にうっすらと立ち上っているような風景でしょうか。
アメリカの「母の待つ里」に住む田舎の母は大きなボウルに、たっぷりとマッシュポテトをもりつけるような豪快さを持ち、笑った顔が懐かしい「肝っ玉かあさん」のようなアメリカン・マァムであってほしいですね。
現代人が失った郷愁の象徴が「母の待つ里」なのでしょうね。
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